Войти十月某日。
残暑の厳しさもようやく収まり、風に冷たいものが混じるようになった頃。 わたし達はひとつの節目を迎えた。「ホントにわたしコレ着るの?」
覚悟は決めていたものの、いざ実物を目の前にするとその煌びやかさに気が引けてしまう。
男だよ、わたし。 それがこんな豪華な……。「ウェディングドレスなんて着ていいんですか!?」
もうすでにビスチェ、ウエストニッパーにガードルを着けてボディメイクまで済ませてあるので、後はこれを着るだけの段階に来てるんだけどね。
「お客様ならきっと誰よりも綺麗な花嫁になりますよ」
お手伝いのお姉さんはそう言ってくれるけど……。
わたしは花婿だよ!ドレスを着ようとしてる時点で、そんな主張をしても虚しいしびっくりするだろうから黙ってるけどさ。いつまでも半下着姿で固まっているのも恥ずかしくなってきたから、ここは腹を括って一気に着てしまうこ
不織布で作られた使い捨てガウンを身につけ、わたしは緊張で身を固くする。 ハッキリ言ってプロポーズの時よりも。 特に自分が何かをするわけじゃないんだけど、何もできないからこそ余計に緊張することもあるんだな。「もう、悠樹さんが緊張してどうするの。パパになるんだからどっしり構えてて」 分娩台に横たわり、痛みに顔を歪めながらも笑顔を向けるひよりの健気さに、男という生き物の無力さを痛感してしまう。 額ににじむ汗を拭いてあげながら、せめて目を背けず最後まで見届けようと決意。「そんな顔しないで。そばにいてくれるだけでこんなにも力強い気持ちになれるんだから。ありがとう」 一番大変なのは自分なのに、こちらのことまで気遣う優しさに胸が熱くなる。「わたしの事はいいから、今は自分の事と赤ちゃんの事だけ考えて。わたしにできることがあるなら何でも言ってね」 男には一生分かってあげることのできない痛みだけど、例え話では鼻からスイカを出すくらいの痛みと聞いたことがある。 例えた方が分からなくなるってどういうことだ。 ありえないくらい痛いってことを表現したいんだろうけど、本当にありえないことを例えに出されても余計に混乱する。 でもとにかく痛いんだということだけは理解できるので、背中を優しくさすってあげた。「ありがとう。触れられているととても安心する。でも陣痛が来た時は痛みが響くから離してくれる?」「うん、わかった。他にしてほしいことはある?」「汗が流れると気持ち悪いから拭いてほしいかな」 今まで経験したことがないほどの痛みだろうに、それでもわたしには笑顔を向けてくる。泣き笑いのようなその表情に、わたしの胸はさらに締め付けられる。「もうすぐ産まれるのかな。だんだん陣痛の間隔が……短く……なって……!」 またしても痛みの波がやってきたのか、苦痛に顔を歪めるひより。 背中に当てていた手を離し、すぐに額や首筋ににじんでくる汗をなるべく優しく、丁寧にふき取ってあげる。 わたしの目から見て絶えず苦しんでいるん
地方都市に限定した日本全国縦断ツアー。 人口が少ないところを選んで敢行したため、当初は空席が出るんじゃないかという懸念もあったけど、結果的には販売開始と共にソールドアウトの大盛況となった。 その都市の住人だけでなく、近隣や中には遠方からでも来る人がいたので、わたし達の密かな目的でもあった町おこしという点でも大成功だったと言っていいだろう。 ツアーの合間に観光として地元のいろんなお店に入ったり観光名所を訪れて写真をSNSにアップしたので、訪れた場所が聖地扱いとなって観光客が増えたという報告もあった。日本にはまだみんなが知らないだけで、素晴らしい場所はたくさんあるんだよ。 山形なんてほとんどの人が首を傾げるけど、|宝珠山立石寺《ほうじゅさんりっしゃくじ》は松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだ由緒あるお寺だし、戦国武将の上杉謙信を祀った寺社もある。出羽三山には羽黒山五重塔という国宝が鎮座していて、2026年は「|羽黒山午年御縁年《はぐろさんうまどしごえんねん》」といって十二年分のご利益があるとされてるんだよ。 そうやって訪れる都市のいろんな魅力を探していくのは楽しかったし、その土地の人々と交流するのも有意義だった。県民性というのは本当にあるもので、行く先々でいろんな発見があったから。 全員がそうだってわけじゃないけど、新潟の人は厳しい冬に耐える歴史を送ってきたからか、忍耐強く、真面目で堅実というイメージ。豪雪地帯であるにもかかわらず、日本有数の米どころとしてコツコツと積み重ねてきたからか、努力を惜しまない堅実さがあったように思う。 その反対側の静岡はのんびりしていて温和という印象。昔から東海道の要所として栄えてきたからか、あくせくした雰囲気がなく、のんびりしていて開放的なのは旅人相手に商売をしてきた影響だろうか。 そういった地方の違いというのはコンサートでの反応にも表れていて、比較的大人しいこともあれば真面目そうな人々が熱狂的に盛り上がって一緒に楽しめることもある。その違いがまた楽しい。 海外に旅行すれば人生観が変わるというけど、日本全国を旅するだけでも十分に価値観を変えられるんじゃないだろうか。 「今日は盛り上がったなー」 愛媛での最終日を終えて、観光前のホテルでのひと時。そこでみんなと今回の感想を述べあっていたんだけど、コンサート
結局、ツアーは山形、金沢、静岡、京都、鳥取、愛媛、宮崎で行うことになった。 前回は全国五都市での開催だったのが、今回は七都市。 日程が前回より長くなったのは当然だけど、やはり地方都市だけあって大人数を集められるだけの箱がなくてほとんどが野外コンサートになってしまった。 どこまでも広がる空の下、声を大にして唄うなんて初めての事なのでとても楽しみ。 お願いだから前回みたいに停電トラブルは勘弁してほしいけど。さすがに音響も何もない露天で隅々まで声を響かせるなんて不可能だし。「ツアーが終わるころには暑くなりそうだな」 キャリーバッグを片手に二階から下りてきたより姉が椅子に腰かけながら言う。「ひよりのお腹も大きくなってくるのかな?」「それくらいではまだ目立つほど大きくなりませんよ。予定日は来年の春ですから、人によりますけど妊婦だと服の上からでも分かるようになるのは年が開けてからじゃないですか」 わたしの質問にかの姉が答えてくれた。 いくらこんな見た目をしていても、女の人の体にまで詳しくないわたしには新しい事ばかり。 お父さん教室とかにも参加した方がいいのかな。「ゆきはなんでもできるから心配ない」「いくらわたしでも知らないことは勉強しないとできないよ。これから時間を見つけては調べていかないと」 あか姉の信頼は嬉しいけど、わたしだって最初から何でもできるわけじゃない。人間離れしてる面があるのは認めるけど、それでも基本は人間なんだから。 そんな話をしていると、ひよりの部屋から物音が聞こえてきたので二階に上がった。「ひより、準備できたー?」「あれ、ゆきちゃん? どうしたの?」 不思議そうな顔でわたしを見てくる。やれやれだ。 自分の身体がどういう状況なのか自覚を持ってほしい。「荷物重いでしょ? 重いものを持たせるわけにはいかないからね」 妊婦に重いものを持たせてはいけないと書いてあった。ましてやまだ安定期にも入っていない妊娠初期。流産する危険性が比較的高い時期らしい。「いくらなんでも過保護すぎだよ。これくらいの重さならどうってことないよ」「そんなこと言って何かあったらどうするの! 用心するにこしたことはないんだから」 なんで妊娠してる本人がこんなに呑気なんだろう。「少しは動かないとダメなんだよ。無理は禁物だけど、軽い運動程
わたし達の関係は変わった面もあれば変わらない面もある。 妻であり、夫であると共に、兄であり弟でもある。 家族でありながら恋人であり、夫婦であり、やがて父と母にもなるだろう。 だけど根底に流れるものは変わらない。ずっと一緒に育ってきた、かけがえのない愛する人。 お父さんとお母さんはちょっと別枠ね。 あの二人は放っておいても勝手に仲良いし。 わたし達はというと、仲がいいのを隠さないでよくなった分、以前よりも公然とイチャつくようになったというか。 もはや公認のバカップルだ。 その仲の良さでは当然というか、あの結婚式から約一年、まずはひよりが身籠った。 産婦人科の先生が言うには、妊娠三か月、八週目だとのこと。「おめでとう!」 「おめでとうございます!」 「めでたい」 はにかむひよりに、みんなでお祝いの言葉をかける。 お父さんとお母さんもこれでお祖父ちゃんお祖母ちゃんになるのか。「こうやって命が紡がれていくんですね」 かの姉はひよりのお腹を見つめ、感慨深げにつぶやいている。 より姉はお腹に手を当て、まだようやく心臓が動き出したばかりであろう胎児に向かってしきりに話しかけている。「依子お姉さんですよ~。ママより可愛がってやるからな~」 お姉さん……。 あまり深く突っ込むと痛い目に遭うから何も言わないけど、そういうことを言うのが逆に既に年齢を感じさせるんだよ?「より姉も急がないとね。年齢的に危うくなる前に産まないと高齢出産は大変らしいよ」 「誰が高齢だコノヤロ」 いつものごとくより姉をからかうひよりだけど、その顔はどこまでも幸せそうだ。「より姉が手遅れになる前に、ゆきちゃんには頑張ってもらわないとね」 そういう生々しい話はヤメロ。「こういうのは天からの授かりものだからね。頑張る頑張らないはあんまり関係ないの」 夜の生活の話になるといろいろ面倒なことになるからこれ以上は控えようね。「まぁただでさえみんなと仲良いしな。全員妊娠するのも時間の問題か」 だからやめなさいって。 わたし達の存在を丸ごと消される事態になっても知らないよ。「ゆきちゃんは随分と冷静だね。わたし達の赤ちゃんが出来て嬉しくないの?」 そんなのもちろん嬉しいに決まってる。ありきたりな表現だけど、愛の結晶が授かって嬉しくないはずがない。
十月某日。 残暑の厳しさもようやく収まり、風に冷たいものが混じるようになった頃。 わたし達はひとつの節目を迎えた。「ホントにわたしコレ着るの?」 覚悟は決めていたものの、いざ実物を目の前にするとその煌びやかさに気が引けてしまう。 男だよ、わたし。 それがこんな豪華な……。「ウェディングドレスなんて着ていいんですか!?」 もうすでにビスチェ、ウエストニッパーにガードルを着けてボディメイクまで済ませてあるので、後はこれを着るだけの段階に来てるんだけどね。「お客様ならきっと誰よりも綺麗な花嫁になりますよ」 お手伝いのお姉さんはそう言ってくれるけど……。 わたしは花婿だよ! ドレスを着ようとしてる時点で、そんな主張をしても虚しいしびっくりするだろうから黙ってるけどさ。いつまでも半下着姿で固まっているのも恥ずかしくなってきたから、ここは腹を括って一気に着てしまうことにしよう。「お、お願いします……」「どうしてそんなに思いつめた顔をしてるんですか。清水の舞台からでも飛び降りるようですよ」 実際そんな心境だし。真剣そのものの表情にお姉さんも苦笑い。 下準備は済んでいるので、あとは比較的簡単な作業であっという間にドレスをきせられてしまった。 胸元しか隠さず、肩が露わになっているのはより姉の趣味。 ドレスの縁やアームカバーにまでフリルが付いているのはかの姉の好みそうなものだ。 ウェディングドレスだから全体的に豪華なんだけど、それでもどこかすっきりと上品にまとまっているのはひよりとあか姉がしっかり選んでくれた結果だろうな。 ヴェールは顔全体を隠すものでなく、後頭部だけを覆っている。前が見えにくくなるのは嫌いだから、これだけはわたしの注文でこの形にしてもらった。「ここまで来たらもう逃げ道はない」 自分を鼓舞するようにそうつぶやくと、メイクを施してもらうためにそのまま化粧台の前に座る。
今日はわたしと依子さんの誕生日パーティーです。 昼間は前の職場で頼まれていたゆきちゃんの件のお仕事があって出かけていたのですが、今頃ゆきちゃんはわたし達のために腕を振るって料理を作ってくれていることでしょう。 その愛情がいっぱい込められた数々の絶品の品のことを考えると今からもう楽しみで仕方ありません。 味が美味しいのはもちろんですが、わたし達が美味しいと言った時のゆきちゃんの嬉しそうな顔が可愛くて、もうたまらないんです。 でもそれ以上に嬉しいのは、心からわたし達の誕生日を祝ってくれているのが伝わってくることでしょうか。 本当に楽しそうに料理を作る姿。 普段のお仕事が忙しいせいで疲れているはずなのに、今日も朝早くから起きて仕込みをしていました。 そして手の込んだ飾りつけも本当の心が籠っていて、とても丁寧に飾ってくれているんです。 元々手先の器用な人ですから、一生懸命作ってくれたであろう飾りは本当に芸術物です。 わたしにとってはラオコーンの群像にも引けをとりませんとも。 ようやく用事も終わり、愛するゆきちゃんの待つ自宅へと戻ってきました。わたし自身が待ちかねていましたとも。「ただいまです」 玄関で靴を確認すると、依子さんが先に帰っているようです。ゆきちゃんと二人きりになれるチャンスかと思っていたので少しだけ残念です。 だけど、ここでわたしの野次馬根性が頭をもたげてきてしまいました。依子さんはゆきちゃんと二人きりになったらどんなことをしているのでしょう。 そう思ってそっとリビングを覗いてみたら……あらあら。 さすが大胆な依子さん。ゆきちゃんに後ろから抱き着き、そのままキスをしています。 ずいぶん濃厚なキスですね。なんだか羨ましくなってきました。 じっと見ていると依子さんがわたしに気付きましたが、ゆきちゃんのそばからどく気配はありません。 それどころか笑顔で挨拶をしてきました。「おかえり」 なんとも不敵な笑顔です。「ただいまです。そんなことより依子さん







